人間味ラーボール
- kibounce
- 2020年1月7日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年6月8日
この名に気づいた当時、日本語ブログのタイトルがようやく簡潔した気がした。
ひとなつっこい外見でも実際には対人関係が大の苦手。でも人ってホント「大事」で面白いからやめられないのを実感する今日。
文中で(あえて書かない箇所も含め)書いている人達や物事は、自分自身を照らし出す鏡の役目を果たしている。よく似ていたりするからより好感が持てたり余計に嫌気が差す。それは自分の母をみてそう思った主人から授かった知恵だった。
そこで、どうして音楽を聴くのか、聴いて踊るのか、踊って感じるのか、感じて気づくのかを、書く行為によって人生の予習復習。各シチュエーションで自分に足りない部分は、特に明確にできた。
踊っている時、天井を仰ぐ度、おもわず崇拝してしまうミラーボールの神さま(通称:ミラボーさま)。その厳かな存在からは程遠いじぶん。
中学時代、母に連れて行かれた(と言うと人聞きが悪いと注意された。が誤って横髪をまちがって短く切ってしまっただけで、二週間学校に行かせないと独断と偏見で決め、学校の担任に電話したのは、一瞬にしろ怒り狂った母自身だ。家に居てヒマを持て余した13歳が『神頼み』だろうが一緒に行くかと聞かれたら、そりゃ一ワケも分かってないし付いて行くだろう笑!)新興宗教の会場でのレクチャー三日目のできごと。ひたい中央に手のひらをかざすと各自に憑いている動物が出てくる話の流れで、四つん這いになって道場を駆けずり回っている中年男女を目の当たりにし。
そして、ダンス中のワタシもまた、ミッドライフクライシス中、お狐さまに取り憑かれたオバンとしか見えなくても仕方ないありさま。
以下ノートへつづく。
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